占い師だからといって「見えないものを何でも肯定する」わけじゃない

占いコラム

先日、Xに書いた「神様との距離感」についての投稿が、思いがけず多くの方に読まれました。
神社に祀られている神様や、山に祀られている神様について、私は「何をしても笑って許してくれる、フレンドリーな存在」だとは考えていない、という内容です。
怖がれ、という話ではありません。
むしろ私が言いたかったのは、人間側の都合だけで、相手の性質や意図を決めつけない方がいいのではないか、ということでした。

そしてこれは、神様の話だけではなく、私が占い師として仕事をするときにもかなり大事にしている感覚です。

私はいわゆる「霊感系」の占い師ではありません

私は30年近く占いを仕事にしていますが、いわゆる霊感を前面に出すタイプの占い師ではありません。タロット、西洋占星術、ジオマンシーなど、それぞれに一定の体系やルールを持った占術を使っています。もちろん、占いには「目に見えないもの」を扱う側面があります。

象徴を読む。
偶然に現れたものから意味を拾う。
まだ形になっていない可能性について考える。
そういう仕事ですから、完全に目に見えるものだけで完結する世界ではありません。

でもだからといって、
「見えないものなら、何を言ってもいい」とは思っていません。
むしろ逆です。
見えないものについて話すからこそ、私は少し慎重でいたいと思っています。

怖がりすぎず、馴れ馴れしくならず

神様でも、霊的なものでも、占いでも、
「怖いものだ」と決めつけすぎる必要はないと思います。

一方で、
「きっと優しい」
「自分なら受け入れてもらえる」
「悪いことなんて起こらない」
と、人間側から勝手に都合よく解釈するのも違うと思っています。

私は、
怖がりすぎない。
でも、軽く扱わない。
畏れの気持ちは忘れない。

そのくらいの距離感がちょうどいいと思っています。

「畏れ」という言葉は、単純な恐怖とは少し違います。自分より大きなもの、自分には完全には理解できないものに対して、「全部わかったつもりにならない」という態度に近いのかもしれません。

「伝承」「確認できること」そして「自分の解釈」

私は神仏や魔術、占いについて調べるとき、
昔から伝わっていること
資料などで確認できること
自分自身の解釈
を、なるべく分けて考えるようにしています。

たとえば、ある神社にこんな伝承がある。それは「伝承」です。
その伝承がいつ頃の資料に書かれているのかが確認できる。
それは「確認できること」です。
そこから、「だから私はこう考える」となれば、それは「自分の解釈」です。

この三つは、似ているようで別のものです。
占いの世界では、ときどきこの境目が曖昧になります。誰かの個人的な感覚が、いつの間にか「昔からそう言われていること」のように語られてしまうこともあります。もちろん、個人の感覚や体験そのものを否定する必要はありません。

ただ、「私はこう感じた」ことと、「昔からそう決まっている」ことは同じではない。そこは分けた方がいいと私は思っています。

「こちらの都合」で答えを決めない

これは、そのまま占いにも当てはまります。
たとえば、「彼と復縁したい」という願いが強いとき。
カードに少しでも良い兆しがあれば、「これは復縁できるという意味に違いない」と読みたくなることがあります。

逆に、不安が強いときには、少し厳しいカードが出ただけで、
「やっぱり全部ダメなんだ」と受け取りたくなることもあります。
でも、それでは占いではなく、願望や不安の確認になってしまいます。

占う側も同じです。
占い師が、「こういう答えになるはず」と決めてからカードや星を読むようになると、占術そのものより、自分の考えを語るだけになってしまいます。

だから私は、自分がそう思いたいことと、実際に出ている象徴を一度切り離すことを大事にしています。

もちろん、完全に主観をなくすことなどできません。占いは読む人間がいる以上、必ず解釈が入ります。
だからこそ、
「ここまでは占術から読める」
「ここから先は私の解釈」

という境界を意識していたいのです。

「わからない」を残すことも大事

長く占いを仕事にしていると、経験が増えます。経験が増えれば、以前より判断できることも増えます。でも同時に、「私は長くやっているからわかる」と思いすぎる危険も出てきます。

特に、神様や霊的なもののように、客観的な確認が難しい話ではなおさらです。
私は、「これはわからない」「そこまでは判断できない」という部分を残しておくことも、大事だと思っています。

全部を説明できなくてもいい。
全部に意味をつけなくてもいい。
人間にはわからないものがある、という前提を置いておく。

それも「見えないもの」を扱うときの礼儀のひとつなのではないかと思っています。

占い師だからこそ、何でも肯定しない

占い師という仕事をしていると、
「占い師ならスピリチュアルな話は何でも信じるでしょう」と思われることがあります。

でも私は、そうではありません。
否定するために疑うわけでもありません。
何でも肯定するために信じるわけでもありません。

わからないものは、わからないものとして扱う。
確認できるものは確認する。
そのうえで、自分なりに考える。

私はそのくらいの場所にいたいと思っています。
神仏の話でも、魔術の話でも、占いでも。
見えないものを怖がりすぎない。
でも、軽く扱わない。
そして、自分だけは特別にわかっている、と思い込まない。

長く占いを続けているからこそ、これからもこの距離感は忘れずにいたいと思っています。

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